〜昭和33 |
校内マラソン
時代 |
|
当初、
男女共学以後、学校を中心にして、
男子約7.5km・女子約5kmの距離で
校内マラソンと銘打って昭和30年まで行なわれる。 |
|
昭和31年女子は従来通りのコース
男子は出発点は同じく学校としながら
信太山丘陵を廻るコース約8kmに変更して行なう。
男女それぞれ別々のコースを使った校内マラソンは
昭和33年まで行なわれた。 |
|
|
|
|
|
↓ |
昭和34〜昭和35 |
ウォーキングレース時代 |
|
|
|
昭和34年グランド改修のため体育祭が出来ず、その代わりとして学校を
出発点〜砂川グランド(24km)をクラス対抗のゴール。
それ以遠は
男子:国鉄紀伊駅(38km)・女子:国鉄山中渓駅(29km)までの
個人競技としたウォーキングレースを行なう。
|
 |
|
 |
|
ウォーキングレース模様 |
|
|
|
|
昭和35年より男子は南海本線和歌山駅まで、
女子は国鉄六十谷駅まで延長する。
|
 |
|
和歌山市駅に到着した5人 |
|
|
|
|
|
|
↓ |
昭和36〜昭和38 |
耐久レース 時代 |
|
昭和36年からは耐久レースと名称を変え、昭和38年まで続く。
|
 |
|
|
当時耐久レースのメダル |
|
|
|
|
|
|
↓ |
|
|
昭和39〜昭和41 |
その後道路事情が悪化し、昭和39・40・41は中止の止むなきに至る。 |
|
|
昭和42〜昭和43 |
駅伝競走 時代 |
|
昭和42年より信太山の自衛隊講習地内み於いて、
クラス対抗の駅伝競走を行なう
(最長3.1km・最短1.75km、15区間全長36.7km
|
|
|
|
|
↓ |
昭和44年〜昭和49 |
クロスカントリー 時代 |
|
昭和44年駅伝競走では男子のみの参加で、女子は応援だけでは
つまらぬ、女子も参加したいということから、
男女全員参加のクラス対抗クロスカントリーに変わる
(男子5km・女子3km) |
|
|
|
昭和50〜昭和51 |
信太山の自衛隊演習地内の道路事情も悪化し、
昭和50年より浜寺公園に場所を移す。
(男子7.4km・女子3.7km)
|
 |
 |
|
浜寺公園でのクロスカントリー模様 |
|
|
|
昭和52〜昭和61 |
昭和51年まで浜寺公園内でクロスカントリーを行なったが、
排気ガスの関係か息苦しいというようになり、もっと環境のよい
場所ということで、泉南市の新家小学校を出発点とし、
堀河ダムを通り稲倉池を経て日根野神社に至るコースに
昭和52年より移し、現在に至っている。
(男子20km・女子17km)
|
 |
 |
|
|
新家駅でのクロスカントリー風景 |
|
|
平成元年〜 |
|
|
|