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  竹内道子さん
を偲んで
本当にありがとう。 みっちゃん 本当に感謝しています。

創立60周年記念誌時
の竹内道子氏


第13期生の竹内道子氏が
平成22年1月1日にご逝去されました。

竹内道子氏は泉大津校の実習教員を長年勤められ、
また同窓会の校内幹事としてお世話いただきました。

ご生前のご厚情に深く感謝するとともに、
故人のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。
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「みっちゃん」の思い出
―故・竹内道子先生(元教職員・第13期生)を偲んで
第38期生 安達貞夫

 3学期がスタートしてすぐの1月9日。コーディネーターをさせて頂いている、泉大津高校土曜英語講習1年生の「暗誦大会」が行われた。ふだんは担当講師に任せているのだが、この日は節目のイベントであるため、もともと立ち会う予定だった。
 9時の授業スタートのあと、暗誦大会会場となる同窓会館に下見に行こうとしたのだが、足はいつの間にか管理棟3階の生物準備室へ向かっていた。土曜日はもちろん先生方はお休みで、準備室も鍵が閉まっていて真っ暗だった。
でも、入口の窓から
「みっちゃん」が座っていたデスクは、よく見える。
いや「みっちゃん」がコーヒーを入れている姿が見えた、ような気がした…。
在学中はもちろん卒業後も含めて、この窓から
「みっちゃん」のそんな姿を何度見かけたことか。そしてどこか癒されながら、この入口の引き戸を何度開けたことだろう…。朝早く学校に着いたとき、休憩時間や放課後。いいことばかりでなく、叱られに行ったことも、悩みを相談に行ったこともあった。
いつ、どんなときでも
「みっちゃん」は、まず笑顔で出迎えてくれた。でも、もうその笑顔は二度と見ることができない。数分間真っ暗な生物準備室の前にいたあと、黙祷をして静かにその場を立ち去った。さぁ、後輩たちの「暗誦大会」、少しでも盛り上げなければ…。

第1報は元旦の夕方。実家への年始挨拶を済ませて帰宅途中、携帯電話に仲人をして頂いた恩師から連絡が入った。

「みっちゃんが、今日亡くなった。」

 急いで帰宅、40期生である家内とともに、当時の自治会執行部をはじめ、同期生で「みっちゃん」を慕っている同期生の心当たりに電話をかけまくった。そして改めて気付いた。「そうだ、みっちゃんは実習助手だから、授業は持ってなかったし担任もしてなかったっけ?」 にも関わらず、これだけ卒業生に慕われている存在感は何なのだろう?

 「みっちゃん」こと、竹内道子先生との出会いは高校1年生の4月だった。中学時代後半に生徒会活動に目覚めた私は、「高校ではもっと本格的に動いてみたい」希望を持っていた。でも、「さすがに1年生ではなぁ…。様子見て、2年生くらいからでも」と考えていた私のことを、後に仲人をお願いした1年生の担任が、自治会顧問であった竹内先生に知らせようだった。
生物準備室で初めてお会いし、「高校時代にやりたいことがあるのは素晴らしいこと。学年なんて関係ないから、今度の執行部選挙に立候補しなさい」と勧められ、1年生前期に
自治会執行部会計に立候補、そして信任投票で当選した。

その後、1年後期・2年前期に会長、2年後期〜3年後期まで学年代表及び泉州高等学校文化連盟担当・執行委員長を務めさせて頂いた。3年間の高校生活は、まさに自治会活動一色だった。もちろん順調に物事が進む訳でもなく、そんなときに悩みを聞いて頂いたり、アドバイスをもらったことは数え切れない。
また、
自治会活動に没頭しすぎて勉強に手がついていなかったり、高校生であるが故の「若さ」で、「やんちゃ」をしたことも多々あったのだが、そんなとき叱ってくれる存在でもあった。

卒業してからも、社会の厳しさを知るたびに生物準備室に通ったような気がする。そして勇気づけられたり、パワーをもらったことも一度や二度ではない。結婚式にも来て頂き、長男が生まれたときも真っ先に連れて行って抱いてもらったものだ。

そんな竹内先生が、実は
泉大津高校の卒業生であったことを知ったのは、随分あとの方だったように記憶している。もしかしたら卒業後に知ったのかもしれない。過去の先輩たちに素晴らしい人物がたくさんいて、「安達君に会わせてあげたい人はたくさんいる」と言われたことがあり、「いずれ同窓会役員に」というようなことも話したことがあったように思う。何しろ先生は、長年校内幹事として、退職後も常任幹事事務局担当として同窓会を支え続けたのだ。

残念ながら、数年前に体調を崩されて
同窓会活動一切から手を引かれた。そのことを聞いたのは、一昨年初夏の頃、たまたま仕事で和泉中央駅に寄ったときだった。エスカレーターのところでバッタリお会いした。聞くと、倒れられたあと入院生活を経て回復された時期だった。先生が自宅へ向かわれる方向と私が向かう先が同じだったため、一緒に歩きながらいろいろと話をさせて頂いた。私もちょうど仕事が転機にさしかかった時期で、そのことを励まされたりもした。
限られた時間だったので、
「またゆっくり話をしましょう」と別れたのだが、直接お会いしたのはこれが最後になった。

この年の秋から、たまたまご縁あって
同窓会に関わることになった。この頃スタートした土曜講習の話も進み始め、常任幹事をさせて頂くことにもなった。年末だったかと年明けだったかに、電話でそのことを竹内先生に報告し、アドバイスも頂いた。これが最後の会話になってしまった。
そして昨年の春、現在の役職である「英語教育事業部・部長」に着任したことを伝える人事異動の葉書に同窓会に初めて関わりだしての様子なども書いて送ったところ、返事を頂いた。

もう春を通り越こして、初夏の季節ですね。相変わらず新しい事にチャレンジですね。同窓会の方も若手を求めているでしょうから、あなた達の年代をどんどん増やして新しい同窓会にして下さい。

 この葉書が、私にとって
「みっちゃん」からの最後のメッセージとなった。最後まで泉大津高校のことを考えられていたに違いない。何しろ高校入学後3年間を皮切りに、卒業後すぐに実習助手として採用されて引き続き母校に勤務。定年退職まで、泉大津高校一筋だったのだから。
 
自治会顧問として、私のように執行部役員の面倒を見て頂いただけでなく、フォークソング部顧問としても多くの部員に慕われていた。進路指導部担当としても、生徒の相談にのり、若い先生方の相談相手として教職員の中でも貴重な存在だったように聞いている。

 思えば、
生徒教職員同窓生を含めて、「泉大津高校のお母さん」のような存在だったような気がする。早すぎる死が、本当に残念でならない。もっともっと、話をしておきたかった。それは私だけでなく、たくさんの卒業生や教職員の皆さんが感じていることに違いない。
 今はただ、ご冥福をお祈りするしかないのだが、さらにできることがあるならば、
「みっちゃん」が愛した泉大津高校をより発展させるべく同窓会として動くことであろう。奇しくも70周年が目の前に近づいている。まずはこれを成功させることが、何よりも供養になるのではないだろうか。

 さて、1月9日の暗誦大会。実は欠席生徒が数名いた関係で、20分ほど時間が余ってしまった。私の後ろで「安達君、あなたが高校時代に感じていたこと、精一杯取り組んだことを後輩たちに話してあげなさい」−そんな
「みっちゃん」の声が聞こえたような気がした。
 表彰式のあと、高校時代に
泉大津高校で学んだこと、卒業生たちも活躍していることを後輩たちに伝えた。そして誇りを持って社会に出て行くために、「今、できることをしっかりとやろう」ということを話した。今の在校生たちは、本当に素直である。みんな一生懸命聞いてくれた。


 
「みっちゃん」、こんな後輩たちを、私たちが先生に助けられたように、私たちもできる限りのサポートをします。どうか、いつまでも母校が発展しますように、天国で見守っていて下さいね。


合掌
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